公開日: 2024/10/9

📖 わかる、とは?

日々私達は何かを理解しながら、考え、行動しています。 その理解する、という行為について自分なりの整理をしておこうかと思います。

わかる、とは?

個人的な定義は、何かしら新しい対象を、自分の脳の中の世界モデルに組み込む(整合性が取れる)ことです。

自分の脳の中の世界モデル?

私は現実世界と、自分の脳の中に構築された世界を分けて考えるようにしています。

  • 現実世界
    • 物理的な世界、自分を含む物理的な系全体
    • 物理法則が支配している
  • 自分の脳の中の世界モデル(=以後「自分世界モデル」)
    • 自分の脳の中に構築された、現実世界のモデル
    • その人にとっては現実(あるいは記憶)そのものだが、その人が体験した世界を、その人の解釈を元に構築されており、現実世界とイコールではない
    • 自分ルールが支配している

人は日々新たな体験をしながら、その経験を含めた自分世界モデルを更新していきます。その更新過程を(程度の差こそあれ)「わかる」と呼ぶことにしています(逆に組み込みに失敗するケースを「わからない」、とする)。 そのため「わかったこと」、は必ずしも全員にとって正しいとは限らず、あくまで自分世界モデルにおいて正しい、ということになります。 現実世界は(おそらく)一つですが、自分世界モデルは意識をもった存在の数だけあって、それぞれ全く次元の異なる世界だという解釈です。

自分世界モデルが優秀何をもって優秀とするかはいろいろありますが、一旦ここでは現実世界に近いモデルを優秀としています。な人ほど、あとから入ってくる体験とのズレが少ないため、理解が早い、ということになるように思います。 あるいは抽象化がうまくいっている自分世界モデルであれば、理解するという行為は、新しく組み込むというよりも、ただどこに当てはまるのか確認する、という行為になるかもしれません。

なぜそんなものが必要なのか

自分世界モデルは、現実世界を予測し、その予測に基づいて生存に有利な行動するために必要なのかなと思っています。次に起こることが分かれば、生存確率も上がるでしょう。

抽象化とは?

人間は、世界を抽象化して生きていると思います。今まで食べてきたりんごは全て全く異なる個体のはずですが、それを「りんご」という概念にまとめてしまうことで、味などを予測/対処可能/自分の望む効果を得られうる存在として認識することができます。そしてりんごとバナナをまとめて果物として抽象化することで、次に新しい果物に出会った時に、ある程度の予測ができるようになります。つまり精度の高い抽象化をすることで、自分世界モデルの存在目的である「現実世界を予測する」精度が上がるのではないかと思います。「わかる」というのは、抽象化によって自分世界モデル内にストーリーを組み上げること、と表現してもいいのかもしれません。

これを少し穿った見方をすると、対象を完全に理解する(≒対象を完全に予測する)というのは不可能だということがわかります。なぜなら、りんごの味を知ったとしても、結局次に食べるりんごは全く別の個体だし、自分/周りの状態も全く異なるからです。現実は2度と同じことは起こらないので、完全にわかることはなく、抽象化というある程度のゆらぎの中に収まるに過ぎないのかなと思っています。

わかる、の種類

体験の種類

体験には大きく2種類あるように思います。

  • 直接体験
  • 伝聞体験

この2種類の境界は曖昧ではあるものの、やはり直接体験の方が、自分世界モデルへの影響度は大きい気がします。他者の解釈の影響が少ないつまり自分世界モデルとのズレが少ないし、使用する感覚器官の数も多い単位時間あたりの入力情報密度が高いので。
対して伝聞体験は、他者の自分世界モデルを一部体験する行為と言える気がします。このやりとりは言語や絵など様々な媒体を通して行われますが、歴史的蓄積&自分より優秀な他者の解釈に触れる事ができるなどの関係上、時間的、空間的な多様性?としては高くなることが多い気がします。

わかる、の種類

わかるの段階をエンジニア用語で言うと、こんな感じでしょうか。

  1. 完全に理解した
    • 対象の空想モデルを作成し、自分世界モデルに組み込む
    • 細部は知らないので都合よく解釈されている
    • あるいはサンドボックス化されていて、自分世界モデルにすら接続されていないケースもある
  2. なんもわからん
    • さまざまなケースで現実世界との接点を検証するにつれ、モデルに不整合がでてくる
    • 対象空想モデル、あるいは自分世界モデルの修正を迫られる
  3. ちょっとできる
    • 現実を加味した上で自分世界モデルへの組み込みが完了する
    • わかるというのは結局抽象化の産物であり、現実には1回性がある、更新し続けるしかない、と理解する

日々起きる事象に対して、死ぬまでこの作業を繰り返して行くことになります。 少しやり辛いなと感じてしまう人の特徴として、完全に理解した状態で止まってしまっている人や、ちょっとできる状態なものの現実世界とのズレたぶんこれは嘘で、結局私の自分世界モデルとのズレになる。結局やり辛いと感じるのは、自分の世界モデルとその人の対象モデルの、妥協できない部分が違うから…?それすら受け入れられる人を心が広いというんだろうな…。が大きい人がいる気がします。特に近年の加速度的な世界の変化の中で、自分世界モデルを更新できないと、現実世界とのズレに苦しむことになるのかなと…自分もその一人ですが。

何をめざすべきか

現実世界を予測するためにある以上、現実世界に近い自分世界モデルが個人的な理想です。そのためには体験の多様性の確保と、バイアスを排除し、論理的というよりも物理的な思考を、そして他者の自分世界モデルも尊重したモデルを作りたいなあと思っています。そのためにはやっぱり勉強し続ける、現実世界に興味と接点を持ち続けるしかないんでしょうね…。

あとがき

まあこの考察自体も私の中で勝手に言語的に行われたものであり、自分なりに世界を「完全に理解した」、にすぎないんですが…